転校生、山乃川ヒカリは頭が良くて、運動も出来た。
 それなのに、まだ友達は居ない。いや、それだから、か。
 うちの中学は、たった二つの小学校から集まって来るだけなので、周りは幼馴染だらけとなる。悪い事じゃないが、そんな中に転校してくる奴は、ちょっとかわいそうだ。
 山乃川みたいに物をはっきり言うタイプは、致命的にとっつきが悪い。きっかけさえあれば、むしろ人気者になってもおかしくないんだがな。
 まあだが、きっかけを作ってやろう、なんて気は無かった。
 ちょっとからかいたくなったんだ、俺は。
「おい、山乃川ヒカリ」
 あまり声を掛けられた事がないんだろう、それだけで山乃川は驚いていた。
「な、何よ。えっと、春野…だっけ。本読んでるんだから、ほっといて」
 ああ、ついに自分から壁を作ったか。こりゃアクジュンカンてやつだ。
 けど、二年になるまで、まだ半年もあるんだ。そろそろ居場所を作っておかないと、まずいだろ。
「お前、自分の話とかしないのな」
「いきなり自分語りとか、バカみたいだし。そもそも、あんたに教えて、あたしにメリットがあるの?」
 質問を質問で返すな。口も悪いし、しかも、視線はさっきからずっと本の方だし。
「バカになりゃいいじゃねーか」
「結構です。てか、あんたみたいになりたくないし」
 こりゃホントに感じ悪いな、おい。
「だから友達ができないんだよ、お前は」
 何か言い返してくるかと構えるが、山乃川は気にも留めてないようだ。こうなりゃ、意地でも喋らせてやる。
「本に夢中だな。どうせ占いとか、心理テストとかそういうのだろ?」
 女って、そういうの好きだし。
 …返事くらいしろよ。
「さては、エロ本か?」
「だったらどうするの?」
 そこはつっこむところだろ。てか、マジかよ!
「あたしが一人でエッチな本見てるって設定で好きなだけ妄想してなさいよ、変態」
「…果てしなく口が悪いな、お前は。そんな子に育てた覚えは無いぞ」
 だが、これで怒ったら負けだ。俺の目的は、山乃川をからかう事なんだから。
「で、ホントは何の本だよ?」
「一般相対性理論」
 これはギャグなんだろうか。頭がいい奴の笑いのツボは分からんが。
「…面白いのかよ。てか、分かるのか?」
「まあ解説本だしね。原文だったら即死級だけど」
 どんだけ破壊力あるんだよ、それ。
「けど知ってるぜ。あの有名な、大男の人造人間だろ。頭にねじが刺さってる…」
「そうそう、フランケンシュタイン。…じゃなくてアインシュタインよっ!」
 こいつ…。
「今、ノってからツッコんだよな?」
 山乃川は、初めて本から視線を外すと、こっちを睨む。
「してない…」
 もしかして関西の出身か。訛りとか全然ないけど。
「お前、ひょっとしてツッコミが得意なんじゃ…」
「そ、それよりフランケンシュタインってね。ホントは怪物の名前じゃなかったんだよ」
 話題を逸らそうってか。まあでも、こいつから喋ってくるのは珍しいので、ここは乗っておく。
「聞いたことあるぜ。確か、怪物を作った博士の方の名前なんだろ?」
 俺は、ホラーとかオカルトとか結構好きなんだぜ。
「作った人の名前、ってのは正解よ。けど、原作だと確か、博士じゃなくて学生だった筈」
 ほう。
「そうなのか。お前、詳しいんだな。怖い小説とかよく読むのか?」
 やっと山乃川と会話が繋がった気がする。
「おい、てんきが山乃川をナンパしてやがるぜー」
 来たな、高山。お前が冷やかしてくるのは分かってたぜ。
「フランケンの話でナンパとか、どんなバカだよ」
 いつもは面倒なんで相手にしないが、さすがにこれでナンパとか、頭悪すぎだ。
「春野に言われるなんて、あなた相当よ?」
 それはないだろ、山乃川ヒカリ。
「あんだよ、仲いいじゃねえか。お前等もう付き合ってんのかよ。ちゅーとかしたのか?」
「お前なあ…」
 流石に、中学にもなってこれはない。俺が呆れていると山乃川は席を立ち、教室を出て行く。
「おい、てんき。あの女は性格くそ悪いぜ。やめとけって」
 最初のイメージだけで決め付けやがって。しかも、本人の背中越しに聞こえるように言うな。
「確かに口は悪いかもしれんが、性格が分かるほど喋ってねえだろ!」
 こういう奴が居るから、山乃川が孤立すんだよ。
「おいおい、マジで怒るなって。お前やっぱ惚れてるんじゃね?」
 くっだらねえ。
「もういい。俺は、あいつが女だから声掛けた訳じゃねえよ」
 付き合ってられるか。惚れたの腫れたの言いたいだけの奴と、これ以上まともな会話は成り立たん。
「お前を心配して言ってるのによ。ムカつくぜ」
「ああ?」
 高山は体がでかいから、本気で喧嘩したら勝てんかもしれん。だが、今のは流石にカチンと来たぜ。
「こら、春野と高山。喧嘩は許さんぞ」
 なんで休憩時間に担任が教室に居るんだよ、森田のおっさん。
 …結局、高山もそれ以上は言ってこなかったので喧嘩にはならなかった。
 けど、そのせいで山乃川はいっそう壁を作ってしまった気がする。
 ツッコミやらせると面白そうなんだがな、残念だ。

 そうして一週間くらい、たったか。
 俺は、凝りもせず山乃川をからかってみたくなった。
「おい山乃川」
「ほっといて」
「秒速でお断りかよ!」
 そう言われると意地になるのが俺の性格なのだ。知らないだろうが。
「西田がお前に一目ぼれしたらしいぜ」
「何それ。大体、西田って誰よ」
 大人しい西田を餌にしたのは失敗だったか。しかし、まさかクラスの奴の名前を覚えてないとか、どんだけだ。
「祭りにお前を誘いたいらしい」
 だが名前を使ってしまったので、そのまま続ける。
「祭りって、どこの?」
 そうか、こいつまだこの辺の事情を知らないんだな。
「知らないのか。明日だよ。ここの祭りはけっこうすごいんだぞ」
「そう」
 興味を示したと思ったのに、素っ気無い態度。猫みたいにめんどくさい奴だ。
「お前、明日の夜、神社に来いよ」
「いやよ。西田って誰か分かんないし。どうせイタズラでしょ」
 勘のいい女だ。いや、頭がいいのか。
「んじゃ、西田に会わなくていいぜ。この俺が自ら案内してやる」
 祭りにさえ連れ出せば、からかうチャンスはある。
「なんでそんなに偉そうなのよ。行くわけないでしょ」
「いいや。お前は来る。何故ならこれは、果し合いの申し込みだからだ」
 男なら、こう言われたら引き下がれん。女に通用するか分からんが。
「なんであんたと決闘しなきゃいけないのよ」
 通用しなかった。…いや、まだだ。
「なんだよ、怖いのか?」
「意味分かんないわよ。ホントにあんた、馬鹿じゃないの?」
 やっぱ口悪いぜ。
 だが、お前みたいな優等生は、プライドが高い筈だ。俺の狙いはそこだ。
「ここで逃げたらお前は一生、負け犬のままだぞ」
 特に意味は無いが、適当に挑発する。
「いいわよ。じゃあ勝負しようか。あたしがちょっとでも祭りに感動したらあんたの勝ちよ」
 のってきたな、愚か者め!
 お祭りマスターと呼ばれたこの俺が、祭りの真髄を教えてやるぜ。
「面白い。なら、感動したらどうする? アイスでもおごってくれるのか?」
「アイスじゃ面白くないでしょ。そうね」
 山乃川は、少しだけ悩むと、とんでもないことを言った。
「あたしが負けたらあんたの前で、裸になってあげるわ」
 なんだと?
「その代わり、あたしが勝ったらあんたが…」
「もう、いい」
 俺は何故か、すごくムカついたのであった。
「そんな、どっちが勝っても嫌な勝負するかよ!!」
 机を思いっきり叩くと、俺は立ち上がる。
「お前は頭いいから、もっと楽しい勝負を思いつくと思ってた。けど、バカはお前だ!」
 捨て台詞を残して、俺は自分の席に戻った。何だか、自分でもよく分からん。
 ただ、悔しかった。
 そんなことを言わせた自分に、かもしれない。けど、言う方がもっと悪い。

 午後の授業中、俺は一切、あいつを見なかった。
 一度だけあいつが先生に当てられて、珍しく答えられなかったが。
 ざまあみろ、と思った。
 そして。
 帰りのホームルームが終わる。高山達が、祭りの話で盛り上がっていたけど。
 俺は、足早に教室を出ようとした。
「春野てんき」
 フルネームで、山乃川ヒカリが俺を呼んだ。
「…気安く声かけんじゃねえ」
 俺は、吐き捨てた。
「ごめん」山乃川が、そう言ったのに。
「謝っても駄目だ」
 俺は、まだ怒っていた。
「ごめんなさい。あたし、ホントに馬鹿だね。ごめんね」
 …くっ。
 山乃川が泣いているかと思って、遂に俺は振り向いてしまった。
 にっこりと笑っている、山乃川ヒカリ。
「てめー、なんで笑って…」
「やっとあんたに謝れたから、うれしくて」
 なんだよ、そりゃ。もしかして、ずっと、そんな事を考えていたのかよ。
 たぶん、性格は悪くないんだろうな、こいつ。口はかなり悪いけど。
「仕方ねえ。祭りは案内してやる。ただし、勝負は無しだ」
「うん。ところで、西田って誰?」
 むう。
 山乃川が謝ったんだ。俺も、ちゃんと言わないと。
「すまん。あれは嘘だ。お前をからかったんだ」
「んじゃ、あいこでいい?」
 その笑顔で言われたら、仕方ねえ。
「ああ」
 途端、山乃川のほほに、涙がひとすじ流れて。
「なんで今、泣く?」
 俺は、パニックになる。
「だって…。ありがと春野。あいこにするチャンスくれたんでしょ…」
「お、俺が最初にお前をからかったんだ。普通に俺の方が悪いだろ。あいこじゃねえ」
「ううん。あいこだよ」
「あいこじゃねえって!」
「あいこだってば」
 強情な女だよ。
「…もう、あいこでいい」
 根負けした俺を見て、本当に心の底から山乃川が笑う。
 俺も何だかすごく、嬉しくなった。
「んじゃ、六時に神社に来いよ」
「迎えに来てよ」
 なんだよ、それは。急に甘えるな、ばーか。
「お前の家、どこか知らねーし」
「あたしだって神社がどこか知らないし」
 …へえ。
 それは、仕方ねえな。ホント仕方ねえ。
「んじゃ家、教えろ」
 そして俺は、山乃川ヒカリの家まで行く事になった。

 道中、山乃川がまだよく知らないクラスの連中の事を、俺は面白おかしく説明する。
 山乃川は気持ち良さそうに笑って。ああ、こいつも笑えるじゃねーかとか考えてたら、あっという間に家に着いた。
 なかなか立派な、白くてキレイな家だった。案外、いいところのお嬢さんかもしれん。
「んじゃ、あたし準備して来るから」
 そういうと山乃川は中へと消えた。そりゃ俺には準備なんて要らないが、このまま祭りへ連れてけと言うのか。
 せめてカバンくらい、どっかに置かせろよ。

「お待たせ」
 山乃川は、浴衣を着ていた。
 なんか、学校とずいぶん印象が違う。どう違うかと言われても、よく分からんが。
「馬子にも衣装、か」
「うまこ、って読んじゃ駄目だから、それ」
 うるせー。黙ってりゃ読者には分かんねえよ。
「それよりカバン、預かってくれ」
「ああ、ごめんごめん」
 俺のカバンを玄関に置くと。
「さあ、行くわよ」
 俺を急かす山乃川。けど、案内するのは俺だぞ?
「慌てるな。祭りは逃げない。それに…」
 俺は、夕焼け空を見上げる。
「こういうのは、のんびり楽しむもんだ。じきに花火も上がるしな」
「花火? 大きいの?」
 ああ、と。
 頷いて、なんとなく。
 りんご飴が、無性に食べたくなった俺であった。

 夜店が並ぶ、神社へと続く古い通り。
 フランクフルトやポテト、ポップコーンにわた飴、チョコバナナ。いか焼き、焼きもろこし、ベビーカステラ。色んな食いモンの匂いが混ざって、俺の好きな「祭りの匂い」になる。
 そして。
 ルビーみたいにキレイな色の、りんご飴。毎年買う度に、大してうまくねえ、と思うのに。
 それでも毎年、買ってしまうのだ。
「山乃川、りんご飴食おうぜ」
「わあーきれい。初めて見た」
 りんご飴って祭りの定番じゃないのか。それとも、ここら辺だけのローカルな食いモンなのか?
「あたしね、お祭りって初めてなんだよ」
「そうか。じゃあ初めての相手が俺だぐふおっ?」
 なんで今殴られた?
 ま、新しい町とかだと、伝統的な行事が無いと言う。前に住んでた所が、そういう場所だったのかもな。
 とにかく、りんご飴を二つ買う。
 どうせそれ程うまくねえよって言って渡したが、山乃川がおいしいって笑って、何だか俺のも。
 甘酸っぱくて、パリっとサクっと、妙にうまいのだ。どうやら、当たり外れがあるらしいな。
「んじゃ、輪投げとか射的とか、金魚すくいとかやってみるか?」
「何それ、うそ、あんなの取れるの?」
 輪投げの景品に、人形とか腕時計とか、ネックレスなんてのもある。
 輪よりでかいものを置くな。子供でも分かるだろ。
「台の上のやつは目測を誤る。実は地べたに置いてある方が取りやすかったりするんだ…」
 直に置いてあるのは、ライターとか香水とか、およそ中学生に縁のない物だ。
「ねえ。あれはどう?」
 山乃川が指差した場所には、涙型の紫水晶がある。
「なんだ、ありゃ?」
「分かんない。耳につけるのかな。でもキレイだよ」
 確かに。
 紫色の微妙なムラが、何だか液体の中に紫のインクをこぼしたみたいで。
「景品のおもちゃにしては、本格的だな」
「どうかな。紫水晶、アメジストは色むらが無くて色が濃いほど高価だから。ああいうのは捨て値かもね」
「ほう。んじゃ本物かもな」
 けど。
 より色が均一な物ほど高いってのは、変な話だよな。それぞれ好みってのがあるだろうに。
「俺は、ああいうのが好きだが」
「あたしもよ」
 そうか。
「んじゃ、やってみるか」
 財布から小銭を出すと、俺はおやじに渡そうとした。
「おーい、てんきー!!」
 …その声は。
 高山達じゃねーか。こんなところを連中に見られたら冷やかされるどころか、明日には挙式の日程まで決められちまう。
「おい、山乃川ヒカリ。全力で逃げるぞ」
「そうね」
 山乃川も流石に察しがいい。
「飛び込むぞ。掴まれ!」
 手を掴んでいないと、確実にはぐれる。それくらい激しい、人の波だ。
 差し出された手を乱暴に掴み、俺は走る。強引に道を作り、そこに山乃川を誘導していく。
 あっという間に、高山達の姿が見えなくなった。
「あははは。脱出成功だね」
「おうよ。だが油断するな。このまま堤防まで出るぞ」
「堤防って、ひょっとして?」
「ああ」
 俺は、真っ直ぐに前を向いたまま、言った。
「そろそろ始まるぜ。花火が…」
「紫水晶もいいけど、そっちも見たいな」
 だろ。分かってるじゃないか、こいつ。
 俺だって、この町の花火を見せたかったんだよ。祭りを知らないお前に、な。

 堤防へ出る。
 そこには既に、満席だった。黄色と黒のロープで、見物席が確保してあるんだが。
 しかし。
「とっておきがある」
 俺は、俺しか知らないその場所へ。
 こいつを連れて行ってもいいと思ったのだ。
「ちょ、春野。警備の人に見つかるよ」
 見物席のロープの下を潜る。
「静かにしろ。もうすぐ花火のアナウンスが入る。その時が勝負だ」
 俺の言葉を聞いて、山乃川が息を殺す。なんだか今日は素直じゃないか。
 そして。
「お待たせ致しました。今年もこの時がやって参りました」
 アナウンスと共に、一発目の花火が合図を告げる。
 ここだ。
 最初の小さな花火は、アナウンスに注目させる為の餌だ。毎年、そういう演出なんだ。
「行くぜ」
 俺は、山乃川に耳打ちする。
 最初の花火が上がり、全員が一斉に夜空を見上げる中。俺達は、ロープの向こうへ抜け出していた。
「気をつけろ。近づき過ぎると川に落ちる。こっちだ」
 俺は相変わらず山乃川の手を引いて、誘導する。
「なんかワクワクするね」
 そうだな。俺もだ。
 川沿いに草むらを進むと、コンクリの土手に変わる境がある。そこの変わり目に沿って、寝転がる。
「ここは少しくぼみになってる。上からじゃ分からん」
「ホントだ」
 山乃川ヒカリが、俺のすぐ隣りで寝転んだ。そして、ここに到着すると最高のタイミングで始まるんだ。
 どどどーん、と。
 最初の花火が比較にならないような、重低音。
「山乃川。よーく見ておけ」
 俺の町の、自慢の花火。
「うわぁあ。何かここ、すごく近いよ!!」
「火の粉は飛んでこないから大丈夫だ。おお!」
 俺くらいになると、三連大玉は打ち上げた音だけで分かるんだ。
「すごい、何これ?」
 教室では聞けない、山乃川のはしゃぐ声。何だか、耳に気持ちいい。
「次はシダレだ」
 正式な呼び方など知らんが、仲間がそう呼んでいる花火。柳の枝のように、下へ垂れ下がるように伸びるやつ。
「わあ、キレイだね。すごい…!!」
「だろ?」
 何が、あたしが少しでも感動したら負け、だ。良かったな、賭けをしないで。
 まあでも、今更そんな事は口に出さないのだ。
「どうだ。最高だろ?」
「隣りがあんたじゃなかったらね。あ、またシダレだよ」
 ったく、いちいち一言多いぜ。
 空を見上げる山乃川の横顔が、何だか本当に嬉しそうだった。
「教室でもそういう顔してろよ。人なんて幾らでも寄って来るぞ」
「こんな顔で天井を見上げてたら、危ない人だよ!」
 そりゃそうだ、と。
 唐突に俺は、ある事に気づいてしまった。
 あのまま、ずっとこいつの手を握ってたって事に。
 どうする?
 山乃川はたぶん、ちっとも気にしていない。だったら…。
 折角の花火だ。余計な気を遣うのは、やめとこう。俺は、柔らかい手を感じながら、もう一度空を見上げる。
 不思議だな。
 学校じゃ、女子と教室で二人きりになったって絶対に手なんか握らない。女なんてうるさくて泣き虫で、からかうだけの相手だ。それにすぐ冷やかすバカも居るからな。
 けど。
 こいつと祭りに来て、花火を見て…。何だか、すごく気分がいいんだ。
 男連中と遊んでる時とは、違う感じがする。どこか、ほっとするような。それでいて少しだけ、そわそわするような。
「見て春野。仕掛け花火だって!!」
 山乃川が上半身を起こすので俺もそうする。川の中に、光のラインが走る。それは、流れ落ちながら、何かの絵、いや字を形作っていく。
 派手ではないが、ちょっと厳かな感じというか。そして、フィナーレが近い事を知らせる、ちょっとだけ切ない花火だ。
「百年ありがとう、か」
 そういや去年が九十九年目だったな、この祭り。節目に立ち会えたってのは、気分がいい。
「百年だって。すごいね。パパの会社よりすごい!!」
 よく分からん感動だな。けど、何だかすごく嬉しいのは伝わる。
「百年っていうと、縄文時代だな」
「んな訳ないでしょ、あははは」
 ひとしきり笑うと、山乃川は言った。
「まったく。あんたにかかると日本の歴史なんて数日になっちゃうよ!」
 冗談で言った訳じゃないが、まぁいいか。
 山乃川が転校して来て五ヶ月。その分の、ずっと笑えなかった時間に。
 お釣りが来るくらい、笑ってやれよ。俺もそれが楽しいからさ。

 最後に、乱れ打ちの大花火が来る。
 流石に。
 毎年見ている筈の俺も。
 初めて見る筈の山乃川ヒカリも。
 言葉が出ないくらい、感動してしまうのだった。
 何だか、その残像が消えてしまっても、周りの人達が引いていっても。
 しばらくどちらも動けないでいた。
 そうして。
 川原の虫の声とか、夜風に乗った草の匂いだとか、そういう物に囲まれていた。
「ねえ、春野」
 俺は、何となしに返事をしない。
 しなくても、ちゃんと聞いている事くらいは伝わってる。
「賭けの話、ごめんね」
「もういいから。忘れろ」
 しらけるだろ、とは言わないし、思わなかった。
 ただ。
 きっとまた、少し泣きそうな顔になっていると思ったから。
「けど女子があんな事言うなよ。俺みたいな男ばっかじゃねえぞ」
「そうだね。実はね」
 山乃川は、申し訳無さそうに下を向く。
「どう言ったら、あんたみたいなタイプの人が呆れて諦めてくれるか考えてたの。でも…」
 悔しそうに、続ける。
「でも、それってすごい嫌な女だよね。あたし最低だ」
「頭で考え過ぎなんだよ、お前は。それに…」
 それにだな。
「そもそも俺が強引過ぎたんだ。お前がそう思ったのも仕方ない」
 いかんな。また謝り合いになるのも不毛だろ。
「それより、山乃川」
 俺は、花火の後の夜空へ言った。
「お前は笑ってろ。花火だって、ぱあって咲くからいいんだ」
「でも、シダレもキレイだよ」
 だから一言多いんだよ、お前は!
「シダレはな、キレイだけどちょっと胸の辺りがきゅってなるだろ?」
「そうだね」
 言ってて、何だかきゅっとした。
 胸の辺りが。
「そういうのは大人になって、しみじみ浸るもんだ。俺達は中学生だから」
「でも小学校の時は、中学生ってすごく大人に見えたなぁ」
「まあ確かにな」
 何だか会話がさっぱりどこへ行くか分からない。そもそも、何を言おうとしていたか忘れた。
「けど、春野が笑って欲しいって言うなら」
「あ、いや」
 なんとなく、その手をやっと、離す。
 なんかやばい。
 良く分からんが、心臓がヤバい気がする。
「あたしに笑って欲しい?」
「好きにしろよ、そんなの」
 山乃川の顔が見れない。何だか、軽いめまいまでする。
「んじゃ、好きにするね」
 離した手を、そっと握られた。
 どうも分が悪い。山乃川ヒカリに、負けそうだ…。
「それと!」
 俺は、勇気を出して山乃川を見る。ほとんど睨んでいると思う。
「さっきのイヤリング、まだ残ってると思うか?」
 なんだそれは。
 俺は、動揺しているのだが、意地でも平然を装っている。
「見に行こうか? お店も片付け掛けてるし、急がないとね」
 まあ勢いで言ってしまったが構うもんか。
「よし、行くぞ!!」
 そして気が楽になる。やっぱりこいつとは、静かに語り合っちゃいけねえ。
 俺達は駆け足で通りに出る。えっと、場所は。
「こっちだ」
 山乃川の手を握り返しながら引っ張る。こんなとこを高山に見つかったら、絶体絶命だ。
 が、スリルがあっていい。どきどきする。
 暫く走ると、あった。輪投げの出店。
 けど。
 もう、店をたたむところだ。
「おっちゃん!!」
 俺は、叫ぶ。
「さっきの、紫水晶のイヤリングはまだあるか?」
 おっちゃんは、ちらりとこっちを見る。そして、無愛想に。
「あるよ。けどおしまいだ」
「分かった。輪投げはおしまいなんだな。んじゃ売ってくれ」
「ちょっと春野、無茶言わないで。すいませんおじさん。お邪魔しました」
 何だか大人だな、山乃川。けどな、勢いが大事な時だってあるだろ。
「五百円、いや千八百円でどうだ。有り金全部だ!!」
 じろっと。
 おっちゃんは俺を見る。
「そっちのネエちゃんへのプレゼントかい?」
「そうじゃない。なんつーか、記念だ!」
 熱くなった俺は、必殺の俺理論を展開する。
「祭りに今日初めて来た、こいつに…」
 山乃川ヒカリを指差す。
「祭りは楽しいんだぜーっていう、そういう思い出の記念品だ!!」
 山乃川に、今日という日を忘れて欲しくなかった。もちろん、俺と来た事なんかじゃなく。
「りんご飴や、花火のことを」
 学校で落ち込んだりしても、
「思い出して笑えるように」
 それを形にした物が欲しいんだ。
「ふん。そういうことなら持っていきな。プロの商売はな、その場で損しても、客がもう一度来たくなるようにするもんさ」
 なんだか一人で納得して、おっちゃんは頷いている。
 が、きっとそれは普通の店屋の話だ。たった二日間の祭りで何を言ってる。
「いえ、代金は払います。サービス過剰だと、遠慮して来にくくなるお客さんだっているでしょ?」
 対抗する山乃川に、おっちゃんは舌を巻く。
「こりゃ参ったね。お嬢ちゃんの勝ちだ。百円でいい」
 おっちゃんはどうしてもそれ以上受け取ろうとせず、結局は百円で買ってしまった。
 まあ、その気持ちはありがたく頂いておくぜ。
「それで、どうするの?」
 イヤリングを持って、おっちゃんの背中が遠くなるのを見ていた俺に、山乃川が聞く。決まってるだろうが。バカ。
「ほれ」
 俺は、紫水晶の振り子を揺らしながら、差し出す。
「うん、えへへ」
「良かったな」
 気の効いた台詞なんざ、知らん。
「…ありがと。春野てんき」
「どういたしましてだ。山乃川ヒカリ」
 自然と、口元が緩む。声に出して笑う感じじゃなく。
 もしかして、俺、にやにやしてるんかな…。いかんいかん。
「値の高い紫水晶みたいにムラのない毎日ってのも平和だろうが、それじゃ面白くないよな」
「大丈夫。女の子の気持ちは、いつだって均一じゃないんだから!」
 何だよ、そりゃ。二人して何が言いたいのか、さっぱり分からん。
 堪らず、山乃川が吹き出す。
「あははははっ」
「わはははははは」
 俺も笑うしかねえ。どうしていいか分からんし、実際。
 楽しいんだから仕方ない。
「春野。あたし今日のこと忘れないからね」
「好きにしろ」
「うんっ」
 すると。
 山乃川ヒカリが、ぱあっと。
 花火のような、笑顔をしたんだ。
「好きにするよっ!!」
 ったく、元気になってくれたもんだ。
 さんきゅ、山乃川。何だか、そう思わずに居られなかった。

 ああ、そうか。
 こいつとの賭けでムカついた訳が分かった。
 誰より俺が、お前と。
 友達になりたかったんだ、な。
 ったく、んなこと夢にも思わなかったぜ。



 何か、夢を見た。
 さっぱり内容は思い出せんが、懐かしい感覚だけが残っている。
 …と。
 なるほど、俺を起こしたのは、この電話か。
 時計を見ると、まだ六時前だ。非常識な相手だが、とりあえず出て文句言ってやるか。
 受話器を取ると。
「もしもし、君が春野てんき君かね?」
 いきなり俺を名指しかよ!
 このふざけた電話に、しかして俺は予感する。
 とんでもない何かが起こりそうな、そういう予感だ。
 何故なら、俺の人生は。
 まるで安いアメジストみたいに、濃淡のある面白い色をしてるんだろうから、な。